なーたん大好きだよ

2021年8月2日に悪性リンパ腫による食欲廃絶で亡くなったなーたん。その病状の始まりから治療、虹の橋を渡るまでの記録。

転院…再手術

我が家の近くには獣医学部を持つある大学がある。校内には付属の動物医療センターもあり、そこの腫瘍科の先生と知り合いだと今入院している病院の先生が言った。


「先程電話してみたら、今日なんとか時間を空けられて手術できそうということなので、お願いしますか?」


再手術は…もう一度お腹を開いて縫合したところをもう少し切って再び縫合するという。しかしもちろんまた裂開してしまう可能性だってある。

でも、助かる道はそれしかない。


「はい。お願いします。」


すがるような思いで答えた。


もう少ししたら…うちに帰れると思ってたなーたん…。またお腹開かれて…また知らない人がいっぱいのところにいないとならない…。

ビビりのなーたんがどんなにか怖がってるか想像すると…心が痛くて痛くて涙が出る。


「力不足で…申し訳なかったです」

そんなことを先生は言ってなーたんを私に返した。自分の手術に…自信がなかったのかな。そんな印象を受けた。

そして我が家から車で3分の動物医療センターになーたんは転院した。


紹介状を受付に渡し、しばらく待つとA先生から呼ばれた。


A先生はさすが獣医学部の教授…といった感じの堂々とした佇まい。私は少し安心した。なんの根拠もない安心ではあったけど…。


「腫瘍ができた箇所がややこしいところでしたのでね、実際これは難しい手術でしたよ。私がやったところである程度の可能性でまた裂開を起こす可能性はあります。」


前の先生を少し庇っているような言い方だった。


また裂開すると可能性が…。でもこのまま何もしなければそのまま死ぬだけだ…。ごめんね、なーたん。またお腹切るのイヤだよね。でもお母さんまだなーたんに死んでほしくないよ。私は手術承諾書にサインした。


「では、手術後にご連絡します」


なーたんは奥の部屋に連れて行かれた。


続く…



シンクロするとなーたんとふーたん

(元気な頃)

裂開

「病院がお休みの日は家に連れて帰ってはダメですか?」


ダメ元で聞いてみた。


「痛み止めの点滴をしてるんですけど…点滴の機械ありますか?」

「ありません…」


あるわけない。


手術の翌日は金曜日…早速この日は病院の定休日だった。面会に行くこともできない。明日の朝、スタッフが来るまでなーたんは1人…。


我が家から30秒のこの病院は、我が家の2階のベランダから見える。こんなに近くにいるのに…声をかけることもできないなんて。もどかしくてもどかしくてしょうがない。


たまに病院のなーたんがいる部屋の辺りの外壁の前に近づいては

「なーたん、頑張って。」と呟いていた。

(かなり怪しい人)


土曜日。私は朝からベランダで病院を見ていた.先生の車はまだ来ていない。何かあったら先生が来たらすぐ連絡があるかもしれない。


先生が来たが電話は鳴らなかった。特に異変はないってことだ.ほっとした。


面会に行くとなーたんは少し元気になったように見えた。


「そろそろ少し食べてもいい頃だけど、何も食べようとしないのが気になります。あと今朝来てみたら少し吐いてましたね。縫合したところが裂開(開いてしまうこと)するとしたら、ここ2日ぐらいになると思います。そこを乗り越えたらとりあえずは安心です。」


この頃から…なーたんは胆汁を含んだ緑色の胃液を吐くようになった。これは…亡くなる1週間前までほぼ毎日続いた。これが私を悩ますようになる。


あと2日、あと2日。


日曜日が終わり、もう大丈夫なのかな…と安心しかけた月曜日。朝、先生の車が病院についてしばらくした時…私の携帯が鳴った。心臓が…止まりそうになった。電話を取った。


「血液検査をしたんですけどね、どうも細菌の値が高くて…もしかすると腸が裂開して中のものが漏れ出して腹膜炎をおこしかけている可能性があります」


目の前が真っ暗になった。


続く…



よくへそ天で寝ていた我が家では

無防備ななーたん(元気な頃)

誤算

2021年6月10日木曜日、なーたんの手術日。


その日私は仕事があったので大学生の娘になーたんを託した。

 

「先生によろしくお願いしますって…言っておいてね。」


あとは手術後、食べられるようになってきたらあげてもらえるように、我が家でいつも食べているフードを持たせた。


お昼…もうすぐ手術が始まる…。手術が無事おわりますように…。


仕事が終わってしばらくすると、病院から連絡が入った。


「手術、無事終わりました。」


ほっとしたけど…心配なのはこれからだ。まず繋いだ腸が剥がれてしまうことがある、と。そして癌である限り転移の可能性が高い。どちらにしろ…なーたんと過ごせる日々は長くはない。

とにかく今できることを精一杯やるしかないのだけれど…これから先のことを考えると切なさで胸が潰れそうだった。


家に帰るとすぐ、病院に駆けつけた。


まずは先生が手術の概要を説明してくれた。

癌は大腸から小腸にまたがってできていたため、そこを切り取って大腸と小腸をつなぐ、というリスキーな手術になったという。

とりあえずは縫合部分がつながることが一つのヤマとなる。

切り取った腫瘍は病理検査に出され、結果は1週間後。


そしてなーたんのケージに案内された。


なーたんはケージの隅の方で小さくなっていた。もうだいぶ麻酔から覚めていて、私に気付くと弱々しく鳴いた。


この日私が一番ショックを受けたのは入院中、夜中や休診日は誰もいなくなるということ。

私が驚くと

「個人病院はだいたいそうですよ」

先生はあっさりそう言った。

ずっとはいなくても…重篤な患者が入院している時だけでもたまに見廻りにくるとか、そういうものだと思っていた。


もし、夜中に急変しても…朝にならないと気付いてもらえないの?そのまま死んじゃったら…たった1人で亡くなるの?

もう考えただけで泣きそうだった。

前もって調べなかった自分のミスだ。それがイヤなら見廻りがある病院を探すべきだったのだ。

急なこととは言え冷静な判断が出来なかった自分を責めた。


でも今の状態で動かすわけにもいかない。今はとにかく任せるしかない。苦しい気持ちを抑えて家に帰った。


続く…



寄り添うなーたんと娘(元気な頃)