なーたん大好きだよ

2021年8月2日に悪性リンパ腫による食欲廃絶で亡くなったなーたん。その病状の始まりから治療、虹の橋を渡るまでの記録。

裂開

「病院がお休みの日は家に連れて帰ってはダメですか?」


ダメ元で聞いてみた。


「痛み止めの点滴をしてるんですけど…点滴の機械ありますか?」

「ありません…」


あるわけない。


手術の翌日は金曜日…早速この日は病院の定休日だった。面会に行くこともできない。明日の朝、スタッフが来るまでなーたんは1人…。


我が家から30秒のこの病院は、我が家の2階のベランダから見える。こんなに近くにいるのに…声をかけることもできないなんて。もどかしくてもどかしくてしょうがない。


たまに病院のなーたんがいる部屋の辺りの外壁の前に近づいては

「なーたん、頑張って。」と呟いていた。

(かなり怪しい人)


土曜日。私は朝からベランダで病院を見ていた.先生の車はまだ来ていない。何かあったら先生が来たらすぐ連絡があるかもしれない。


先生が来たが電話は鳴らなかった。特に異変はないってことだ.ほっとした。


面会に行くとなーたんは少し元気になったように見えた。


「そろそろ少し食べてもいい頃だけど、何も食べようとしないのが気になります。あと今朝来てみたら少し吐いてましたね。縫合したところが裂開(開いてしまうこと)するとしたら、ここ2日ぐらいになると思います。そこを乗り越えたらとりあえずは安心です。」


この頃から…なーたんは胆汁を含んだ緑色の胃液を吐くようになった。これは…亡くなる1週間前までほぼ毎日続いた。これが私を悩ますようになる。


あと2日、あと2日。


日曜日が終わり、もう大丈夫なのかな…と安心しかけた月曜日。朝、先生の車が病院についてしばらくした時…私の携帯が鳴った。心臓が…止まりそうになった。電話を取った。


「血液検査をしたんですけどね、どうも細菌の値が高くて…もしかすると腸が裂開して中のものが漏れ出して腹膜炎をおこしかけている可能性があります」


目の前が真っ暗になった。


続く…



よくへそ天で寝ていた我が家では

無防備ななーたん(元気な頃)