なーたん大好きだよ

2021年8月2日に悪性リンパ腫による食欲廃絶で亡くなったなーたん。その病状の始まりから治療、虹の橋を渡るまでの記録。

なーたん我が家での最期の日々④

それから10日あまりは…変わらない毎日が続いた。飲まず食わずで2週間と言われたが、3週間経ってもなーたんは生き続けた。


定休日の日以外は近所の動物病院に点滴と吐き気止めの注射をしてもらいに行く。

動物病院の先生や看護師さんももう掛ける言葉もなくて、先生は「食べてくれさえしたらねー…」と毎回言っていた。何も前向きな会話は出来ず私も通うのが辛くなっていた。


家では私のベッドにうずくまるか…時には洗面所に移動して冷たい床に横たわり…夜はそこで死んでしまうのではないかと私も洗面所の前の廊下で寝たりもした。いよいよか、いよいよか、という場面がありながらもなーたんは頑張っていた。


正直終わりが見えない辛さがあった。考えてはいけないけど…痩せて…骨だけで生き続けるなーたんを見ているのが辛くて…早く終わって欲しい、と思う時もあった。


ごめんね、なーたん。お母さんの未熟さを許してね。なーたんを大好きだったのは確かだよ。ごめんね、なーたん。


私となーたん

レミゼラブル

なーたんが退院して10日ぐらい経った頃、私は悩んでいた。なーたんが具合が悪くなる前に買っていたチケット、ミュージカル「レミゼラブル」の当日が明日に迫っていた。

仕事は仕方ないにしても…遊びに行ってその間に何かあったら…自分は後悔するだろうなぁ。


でもこのチケットを取るのにはだいぶ苦労した。2年に一度しかないし、このミュージカルを観るのは20年以上ぶりだ。ずっと観たかったのだ。


明日は娘が昼過ぎまでいるので、なーたんが1人きりになるのは1時から私が帰ってくる5時までの4時間…。この間に何もなければ…。


私は思い切って行くことにした。


行くまではよかった。1時までは娘が家にいるという安心感あった。

しかし娘が出かける1時…ちょうど開演の頃からソワソワし出した。


「なーたん。1人きりで逝かないで…」


あんなにおじさん先生に家で死ねるだけで幸せだよって言われて納得したはずなのに…なーたんを置いてミュージカルを観に来たことを後悔した。

最後はアンコールを見ずに劇場を後にした。


急いで帰って2階の私の部屋に駆け込むと…なーたんは朝、出かける時のまま、そこにいた。


「なーたん‼︎」と私が駆け寄ってもキョトンとしてそこにいた。


「なーたんよかったー‼︎よかったー‼︎」


なーたんをギュッと抱いて泣いた。


飲まず食わずでもう10日…なーたんの最期が近づいているのだ。


続く…


このころから寝室を抜け出しては洗面所の冷たい床に移動するようになった。他の方の闘病記を見ても猫は死期が近づくと冷たいところを好むようになるようだ。

セカンドオピニオン③

「あえて言うなら…僕なら手術もしなかったかな。だって…手術しても…完全に取り切れるわけじゃないでしょう。癌との追いかけっこだよね。それなら何もしないでおうちにいさせてあげたいよね。」


先生なら、そう言うような気がしていた。私が最初の手術からずーっと思っていたこと。

「手術はなーたんにとって良いことなのか」


先生はふーたんの時にも

「おうちにいさせてあげてください」

と言った。

それがこの先生の一番大事にしていること。


あの時もそうだったけど、私はまたこの先生の前で大泣きしてしまう。


「先生、私、もう一度この子が元気になった姿が見たかったんです。もう一度ご飯を食べる姿が見たかったんです。」


そんな私の言葉にも先生は動物の立場からあっさりと答える。


「それはあなたのエゴですよ。何もしなくたってこの子達は死ぬことなんて考えてない。動物たちは生きることしか考えてないんです。自然に生きているだけでいいんです。」


「先生、私が仕事に行っている間に一人で死んじゃったら…そう思うとツラくて…」


「それでもこの子は大好きな場所で最後を迎えられれば、それでいいんじゃない?幸せだよ」


先生はキャリーの外からなーたんの目を見て「まだしっかりした目をしてるね。最後まで弱った姿を見せたくないんだよね、猫は」


そう言って最後までキャリーを開けずに話を終えた。開けて余計な希望を与えない…それが先生の方針なんだろう。


先生と話せてよかった。もう迷わずなーたんの最期を看取ることができる。


そう思った。


続く…

私が出かける時は大学がリモート授業の娘がなーたんに寄り添うことが多かった(ただ隣で寝るだけ)